| 講義:第三回目 |
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| 2.中獣医学発展の新段階 |
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1840年以後の中国は、半植民地、半封建社会に陥ったために、中獣医学の発展が妨げられ、停滞している状態でした。しかし、民間に深く根を下ろし、臨床治療に広く応用されていた中獣医学はその整理や総括活動が止まることはありませんでした。例えば、李南暉等が執筆した「活獣慈舟」には、牛、豚、馬、犬、猫等、動物の症状の240種余り、処方700ヶ条余りが収められています。中獣医学は漢方医薬と併用した臨床治療での実用性を非常に重視されていきました。また1886年に発行された「牛経切要」には、牛の外形選別、症状判断、予防処方等の内容が含まれていますし、1891年に出版された「豚経大全」は中獣医学界で現存する豚の病気に関する唯一の著書であります。更に1909年「駒病集」等の中獣医学著書が出版されました。
中国における中獣医学は、時代の流れと西洋獣医学の浸透によって中(漢方)、西(西洋)獣医学の二つの分野に分けられるようになりました。中国共産党は設立以来、中・西獣医学の二つの分野に互いの提携関係を強調し、共に畜牧産業に貢献するよう呼びかけ続けて来ました。1928年、毛沢東はその著書「井崗山の闘争を論じる」で“中、西、ふたつの治療法を用いて治療にあたる”と述べています。1944年、同じく彼の著書「文化活動に於いて統一戦線を論じる」では“農村部の奥深くに残る昔ながらの治療法で用いる医師や獣医師と協力し、現代医学を学ばせ、進歩の手助けをしなければ、封建迷信を深めさせ、人と動物の命を無駄にすることになる”と指摘しています。
1947年、当時の占領区大学農学院では、中獣医学に関する学習と研究が既に始められ、各占領区、部隊の獣医系統にも大勢の軍獣医が軍馬の治療、予防、特に健康管理分野において重要な役割を果たしていたとされています。 |
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| (三)中獣医学発展の新段階 |
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1949年に中華人民共和国が誕生してから、中獣医学は新しい段階に入り、ますます発展しました。1956年1月に国務院は“民間獣医に関する仕事の強化”政策を公布し、中獣医学の従事者に大きな期待を託しました。また同年9月には第一回「全国民間獣医会議」を開きました。会議の中で中・西獣医は強い結びつきを示し、これは中国の獣医学術を新しい段階に進めた戦略でありました。また、1958年に毛主席は「中国医薬学は豊富な宝蔵であり、懸命に発掘するべきである」と指示を出しました。当時、政府の中獣医学重視の政策と中獣医学従事者の努力により、その事業は急速に発展をみました。建国の初期から、中国では、中獣医学の教育に注目していました。訓練組、中等専門学校、大学、修士の教育を通じて、多くの専門人材を育成しました。科学研究の方面では、専門研究機関である中国農業科学院中獣医研究所や大学の中獣医研究室と共に強力なグループを構成し、基礎理論、漢方薬、調剤、針灸及び臨床等の分野ですばらしい成果をあげました。
学術の交流が拡大する中、中獣医学の専門書と中獣医学の雑誌を出版し、国内外にたいへん影響のある学術論文を掲載しました。1979年に全国中獣医結合学術研究所(1985年に中国畜牧獣医学会獣医医学研究所に改名)が正式に創立されました。この学術組織には中獣医学の従事者の多くが団結し、それが中獣医学術の発展を促進し、国際交流と技術提携を広く展開しました。現代中獣医学に於いて、中獣医学専門家は歴代学術の研究結果を総括するために「司僕安驥集」と「現亨療馬集」などの中獣医古典書が20冊以上編集・出版され、同時に現代中獣医学専門書は30冊以上が編集・出版されました。更に中獣医学教科書と参考書が400冊以上出版されました。臨床学方面では動物疾病の予防医学が急速に発展してきた他、漢方飼料の添加剤の研究が急速に進んでおり、価値ある漢方飼料添加剤の配合を提供し、他の化学飼料添加剤より将来性があるはずだと予言しています。 |
―――――次回は、「中獣医学の基本的な特徴」について勉強します。 |